昭和49年07月02日 朝の御理解
御理解 第4節
「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられる様になった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言う事にそむかぬようよく守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言うに及ばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。」
金光大神が、私共の恩人と思えれる程の、おかげを受けなければなりません。でないと、次の金光大神の言う事に、背かぬ様にと言う事が出来ません。恩人の言われる事であるから、と言う事になるのである。お蔦、主税の台詞じゃないですけれども、主税がお蔦に申します。「私とあんたの命を捧げても、まだ足りん程の人からの頼みだから。」と、こう申しますでしょう。
それは主税が助けて頂いておる、ですから、助けて頂いておるその恩に報いる。その為には、夫婦のあんたと私の命を投げ出しても、まだ足りん程しの方からの依頼だから。ここでも天地金乃神からは確かに恩人と言われる。天地金乃神が金光大神のおかげで世に出られたのですから、だから私共もです、金光大神が本当に恩人と言え、思えれる、言わば、助かりを頂かなければいけんのだ、またおかげを頂かにゃいけん。
おかげ頂いた、おかげ頂いた、一生ご恩は忘れません。と言いよってもです。それを本当に金光大神を恩人とまで思う所までのおかげを頂いていないから、次の所謂金光大神の言う事に背いてばっかりおると言う事になるのです。ですから愈々助かりません。同時に私は、天地金乃神と言うにはおよばぬ、金光大神助けてくれと言えば、おかげを授けてやると仰る。それは勿論天地金乃神と生神金光大神は、一心なんですからね、御理解第五節の最後ん所にあります様に『此方が祈る所天地金乃神と一心なり』と
。だから天地金乃神様と成程言わんでも、金光大神をたたえる時にはもうそこに天地金乃神様の働きが頂けれる。言うならば、金光大神を本当に恩人だと思い込んでおる、例えば私と致しますと、親先生ですね。だから是がね、本当に金光大神のなからなかったら、今の私はないと言うほどしの恩を感じておるです、私は金光大神を。だからなら金光大神と言う事もいらん、親先生と言うただけで助かると言う事は同じ事なんです。金光大神が本当に恩人だと。
金光様が右と仰ればもう絶対右を、言うならば金光大神の言う事に背かぬ様にと言う所の信心が、段々私自身出来てきたと思います。私の場合は三代金光様と言うても良い。三代金光様がおられなかったら、今日の合楽は無いんだと思い込んでいる。だから三代金光様の教えて下さった事は、それこそ泣く泣くでもやはりそれを守り抜かせて頂いてきた。だから私と金光大神は、もういうならば一体、教祖様とも一体、天地金乃神様とも一体と言う事になる。一貫しておる。
だから親先生助けて下さいでおかげを頂けれると言う訳なんです。だから此処で一つ、まさかの折と言うのでなくてです。何時でもその祈りというか、願いと言う物が祈り込み、願い込みがあっておらなければならない。昨日永瀬さん所の奥さんが、今朝からこげなお夢を頂きましたと言うて、お夢のお届けがあった。それはどう言う事がと言うと、永瀬さん一家の信心は、守る信心は素晴らしいけれども、攻める信心に力不足と言う事を、頂いておられます。
是はその前の日に大祓式の時に私が申しましたですね。もうあれだけの、今度の御大祭の性格と言う物がはっきりした感じが致します。どうも大祓式の祈願祭、悪疫予防の祈願とか、交通安全の祈願と言う事が、この六月三十日の大祓式であるなら、八月十六日の、いわば夏の祈願祭もやっぱり、同じ様な悪疫予防、五穀豊穣と言った様な事ですから、どうかこう性格がはっきりしなかったんです。
けれども、私は今度の大祓式を頂いてから、はぁ是はもう愈々はっきりして来たと、大祓式がいうならば守る信心なら。例えば流行病なら流行病が流行してきた。何時湧いて来るか解らない様な交通事故の様な問題が何時あるや解らない。そう言う様なことの中から守って頂こうというのが、この大祓式ですね。だからどこまでも守る。私を守って下さる、一家を守って下さるという守って頂く信心。
私共それで守る信心。すると八月の夏の御大祭、いわゆる祈願祭が、私は今度悪疫予防と言う事はもう要らないと、いうならば五穀豊穣諸事繁昌の大祈願祭でなからなければならないと思います。それも昨日、私小倉の夏の御大祭のご案内を頂いた。そしたらやっぱり、そう書いてあるから、七月十日の御大祭に、五穀豊作、諸事繁昌祈願祭とあります。是から合楽の場合もこう言う風にしなければ、この辺何処でんもう一般に悪疫予防、諸事繁昌の祈願祭と言う事になってますね。
だからもう悪疫予防と言った様な事は、もう三十日の日に出来ておる訳ですからね。しかもお祓いも出来てるのですから、そこで夏の大祈願祭を攻める。どうでもこちらの方から積極的に、どうでも諸事大繁昌のおかげを頂かして下さい、どうぞ豊作の大みかげを頂かして下さいという祈願のお祭り。だから是は責める。何故かと言うと、おかげを頂かなければ御用に立てませんからと言う物がなからなければ、ただ頼みますお願いしますだけじゃいかん訳です。
そこで私は、昨日永瀬さんの奥さんのお届けを聞かせてもろうて、成程永瀬さんの信心は、守ると言う事においては、非常に強い信心が出来ておられるけれども、攻める方の信心が出来ておられんと言うのは、なぜ出来られんのかと言う事です。だからそこに今度工夫さしてもろうて、攻めるも守るも完璧と言うようなです、信心を是から頂いて行かねばならん。是は永瀬さんだけの事じゃありませんよ。
皆がそうなんですよ。そこでね、私共がどう言う事になったら、攻める信心が、もう実際実感的にです、あのう願えるかと言うと、本当に神様のお役に立ちたいと言う一念が燃えて来なければならんと言う事です。どうぞお守りを頂きます様に、災難はそれこそ大難は小難に、小難は無難におかげを頂きます様にと言う一心の、例えば守る信心は出来てもです。それではお役に立たんのです。
お役に立ちたいという、一念を燃やして来るとです。どうでも、財の上にもおかげを頂かなければならない、健康の上にも、おかげを頂かなければならない。愈々家繁昌、子孫繁昌の大みかげを、頂かねばお役に立てんのですから、お役に立ちたい立ちたいの、一念を燃やすところからです。私は攻める信心が出来て来ると思うんです。そこからです。例えば、色んな御用にでも使うて頂けれる時間のお繰り合わせも頂く、どういう御用でもさしてもらえる様な、財の面のおかげも頂く。
頂かなければならんのです。だから頂かなければならんという信心がです。お役に立ちたいと言う一念を燃やして来なければです。ただ自分がた一家だけが災難に合わんで、交通事故にも合わんで病気もしないでと言うだけでは、それは有難い事ですけれども言うならばマイホーム的なおかげです。それを頂くと同時にですお役に立ちたい、それでは今の様な言うならば経済状態であったり、今の様な健康状態であったり今の様なもう忙しゅうして忙しゅうして神様の御用だん出来んと言った様な事ではね。
出来んでしょうが。だからお役に立ちたい立ちたいの一念をです。燃やさして頂いて、所謂攻める信心を身に付けて行かなければならない。同時に守る信心をも身に付けて行かなければならない。私は金光大神助けてくれと言えばおかげを授けてやると仰るのだから、同じ助けて下さいでもです。その願いでもです。願いの内容がお役に立ちたいからお願いします。と言う事にならなければならない事が解かるでしょう。例えばお役に立ちたい例えば、教会の御用にでもどう言う御用にでも立ちたいと言う事。
私が言うなら信者時代に善導寺の場合、大掃除やらどぶさらえがある時には、私が居ない事はなかった。庭の草取りの時でも私がおらん事はなかった。そんなら神様の例えば御用をさして貰うと言う様な事でも、御神米を折るなら御神米を、神饌の御用なら神饌の御用をさして頂く時も、私がおらん事はなかった先ずなかった。教会家庭の何かと善導寺の時に私がおらん時は絶対なかった。只きつい事は財のおかげを頂き切っておらなかったからです。それは思う存分の事は出来なかったけれどもです。
それでも誰よりも私は一番おかげ頂いとったと思う。一番どうにも出来ない時でも。私はそう思うんです。ですからどう言うお役にでも立ちたいと言うならば、時間も金も体力も経済力も頂かなければ出来んでしょう。それにはお役に立ちたい立ちたいと言う一念を燃やして来る所からです。言うならそういう攻める、言うなら夏の大祈願祭に今度銘を打って、大祈願祭の案内を皆さんに差し上げるとするならばです。
言うならば、五穀豊穣のお願い、諸事大繁昌のおかげというだけになります。なぜか豊作のおかげを頂かなければ、諸事大繁昌のおかげを頂かなければお役に立てないからであります。だからお役に立ちたいと言う一念をです。永瀬さん燃やさなければいけませんね、と言う事になる訳です。成程総代の御用も頂いとられます。成程御用と言やぁ、いち早く全ての事に行き届いたおかげを頂かれます。
けれどもまあだまあだ、もっともっとと言う事なんですよ。そう言うお役に立ちたいという一念を燃やしたらです。攻める信心が出来てこんはずがない。そこに金光大神助けてくれと言えばおかげを授けてやると仰るのだから、まさかの時だけではない、何時もその事の願い込みと言う事がなされなければならないと言う事なのです。其処にはまずはです。私共が親先生の。今日親先生なからなければ。
今日私の家はなかったと言われる位なおかげを、まず頂かなければです。親先生の言う事に背いてばっかりおる事に成るのです。そういう命の大恩人、家の大恩人と親先生を思うから、親先生の言われる事にはです。泣く泣くでも言う事を聞かん訳にはいかん。それこそ、お蔦、主税じゃないけれども、私とあんたの命を二つ合わせてしてもまだ足りん程しの大恩人の言われる事だからと言う事に成って来る。
だから先ずはそう言うおかげを頂いてです。恩人の言われる事を本当に聞かせて、金光大神の言う事に背かぬ様にという背かぬ様な生き方を、先ずはさせてもらうと同時にです。お役に立ちたい立ちたいの一念を本気で願う所から、攻める信心が出来て来る。同時にまた、守る信心も勿論大事である。攻める守るのです、言うならば足ろうた信心を愈々身に付けて行きたいと思うですね。
どうぞ。